農家の機械等の貸し借りについて。

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農業では割と耳にする農業機械の貸し借りや共有。
今回はそれらを経済学等を用いて考えます。


当ブログにおいては、全ての記事において基準は愛知県でつくるキャベツ・たまねぎの栽培技術・経験に基づく物ですので、全てが全ての方に当てはまるわけではないと言うことを前もってご承知の上お読み頂けると幸いです。それでも、大部分は同じことが言えますので、ご自分のつくる作物の栽培と照らし合わせて柔軟に咀嚼して頂く様お願い申し上げます。


■ 農業機械の貸し借り・共有



農家にとって農機具や農業機械の貸し借りや共有化は、従来から慣行的なものでもあります。

農業機械等の共有は、高価格の製品を共用とすることで実質費用の削減を主目的としています。農家でない人には想像もつかないかと思いますが、トラクターやコンバインは高級車顔負けのお値段がしたりするので、一家に一台というわけにもいかない事情があるのです。

しかしこの農機具の共有・共用は往々にして上手くいかず、遅かれ早かれ機能不全をきたすと考えています。

皆様は「共有地の悲劇(コモンズの悲劇とも)」をご存知でしょうか。
共有地の悲劇とは、複数人が利用できる共有資源が乱獲にされることによって資源の枯渇を招くという経済学における法則のことを言います。例えば、共有地である牧草地に複数の酪農家が放牧をしたとします。各酪農家は、共有地から得られる利益(=牧草)の最大化を求めてより多くの牛を放牧します。自分の所有地であれば、牛が牧草を食べ尽くしてしまわない様に数を調整しますが、共有地では自身の牛を増やさなければ他の酪農家が牛を増やしてしまい、自身の取り分が減ってしまうため、各が牛を際限なく増やし続けることになります。この様にして酪農家が共有地を自由に利用する限り、資源である牧草地は荒れ果て、結果として全ての酪農家が被害を受けることになるのです。


この共有地の悲劇が農家の農業機械等の貸し借りにおいても似たようなことが言えるのです(半ば強引ですが)。

共有地の悲劇が起こる条件は、

1:共有地がオープンアクセスの場合

2:共有地の資源が希少資源で枯渇する場合に尽くされてしまう場合

の二つです。これを件の事象、露地畑地で使うロータリー付きのトラクターの貸し借りについてあてはめてみましょう。

1は共有者にとってトラクターの利用は制限されるものではなく自由に使えることから、オープンアクセスといって良いでしょう。

2は、トラクターは共有者にとって高価で手を出せなかったものとすれば、それ自体が希少資源です。さらに、トラクターは車ですから、エンジンオイルやエレメント、タイヤやライト、バッテリーなど様々な消耗品があります。また、ロータリーの爪も摩耗による交換が必要な部品でもあります。これらのメンテナンスが正常になされない場合、トラクターは機能不全を起こし使い物にならなくなります。

以上の解釈をまとめると、

1:共有地=トラクター は共有者が自由に使えるオープンアクセスである。

2:共有地の資源=トラクターの必要部品・メンテナンス これらがちゃんとなされていない(=枯渇)場合に尽くされる(=トラクターの機能不全)。

となります。解釈は人それぞれですが、これで共有地の悲劇は成立するというわけです。
こうして経済学の法則からも農家の農業機械等の貸し借りは遅かれ早かれ廃れていくと言う寸法です。

しかし、貸し借りの機能不全には経済学の法則よりももっと根本的な理由があると私は考えています。それは、物に対する「愛情の欠如」です。

自分が自分で買った愛車は常に綺麗に保ちたいですし、定期的なメンテナンスも欠かさないですよね。これは紛れもなく車に対する愛情があるからです。その一方トイレなど公衆施設が清潔に維持されにくいのは、「誰のものでもない」と言う考えから、そのもの自体を大切に使用とする意欲が沸かないのではないでしょうか。

整備やメンテナンスを当番制にしたとしましょう。初めは皆ちゃんとやっていたとしても、愛着の沸かぬ誰のものでもない機械をちゃんと維持しようとモチベーションを保つことがどれほど難しいことかご理解頂けるかと思います。
さらに言えば、人によって使用頻度や使い方にもばらつきがありますから、誰がどの程度機械を消耗させ燃料を使ったかと言う話になりかねません。共有を始めた当初は仲良く使えていたとしても、誰かひとりでも個々の使用の差異を指摘したり、人の入れ替わりがあったりすると、人の良心だけで体裁を保つこのやり方はいとも簡単に瓦解するのです。

また、機械を共有する人たちはおそらく同じ様な作物を作っていると考えられます。となると、使用するタイミングが重なることが往々にして考えられますが、特に露地栽培では天気によってタイミングがシビアな環境でうまく回るでしょうか。共有者同士が予定をすり合わせながら使用計画を立てるのでしょうか。だとすれば、それは恐ろしいほど煩雑で、一家に一台あった方が余程良い結果となってしまうでしょう。天気を読みながらする農業という仕事で機動力を欠いたらお終いです。

加えて共有物である機械の保管場所も問題になりがちです。その場所は誰が用意するのでしょうか。そして最も無駄だと感じるのは、機械を保管場所まで持ちにいく、置きに帰ると言う煩雑さです。ごく近所の農家同士出なければ、この時間的損失で共有による利益が打ち消されるのではないかと思えるほどです。

誰かが所有している機械も同様です。まず、借り手は所有者でないので愛着が沸くはずもないですが、人様のものなので細心の注意を払って操作することでしょう。その状況下で技術の向上やここをこうしたらと言う工夫が生まれるでしょうか。もし何か壊してしまったら?しかも機械には普通に使っていても経年使用で壊れるパーツがいくらでもあります。もし借りている時にタイミングベルトが切れたり、バッテリーが上がってしまったらどうしましょう。いついつには返してくれと言われてもし雨が降って予定通りできなかったら、どうしましょう。そんなことをあれこれ考えるだけでも億劫です。

最近、この機械の共有を第三者が仲介して行うサービスを見かける様になりました。仲介者と言う明確な所有者がいることで、共有地の悲劇は避けられるかもしれません。ですが、機械を使用するまでのプロセスが1つ増えることになり、やはり機動力に欠ける上当然コストも高くなります。

機械を熟知し、操作を極め、より良い農業にしていきたいのなら、自己所有をする方が結果的に得になるのでは、と言う考え方の1つです。もちろん、共有することで効率性を最大化できるケースも考えられますので、その辺りご承知頂ければ幸いです。


今回はここまで。
ありがとうございました。
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